広島城の天守を出て、広島城内の他の場所の散策です。
天守の側には旧天守の礎石があります。昔の天守の礎石をそのままこの場所に移動して配置なども同じ状態にして並べてあります。
今現在の天守は新たに作られたもののため、その時に移動したようです。
この礎石の上に木の柱を乗せていき、建物を建てていきます。
すぐ側には東小天守跡があり、その場所からも天守を見上げることが可能です。天守入口側の南小天守跡とはまた違った姿を見ることができます。
堀の側を歩きつつ、ぐるりと回っていきます。
すると、刻印が置く見られる石垣に到着。
とはいえ、しっかり見ないとよくわからないのが正直なところ。城内マップに書いてなければまったく気が付きませんでした。
崩れかけた石垣。福島正則が壊した跡ともいわれています。
堀の石垣。
堀の石垣の角を上から眺めた様子。普段はこのようなことはしませんが、実は先に紹介した刻印が多い石垣や、崩れた石垣の場所がよく分かっておらず、最初にこちら側を見ていたので、この場所の写真が多めだったりします。まったく崩れてないけど、どういうことかと悩みつつ。
裏御門跡付近。
石段があります。
中央広場から見た天守。
中央には広島大本営跡が。戦前の軍隊の施設があった場所です。
明治天皇が来られた際に大本営がこの場所に設けられ、その後は保存されたものの、原爆によって破壊されました。
桜の池跡。
たぶん、この辺りが本丸上段。
周囲の様子。
広島護国神社。多くの城の側に護国神社があります。
手水舎。
拝殿。
昇鯉の像。
馬。
中国軍管区司令部跡。
以前はここの内部の見学が出来ていたようなのですが、老朽化で見学が不可に。再開の時期は未定。たぶん、再開されることはないのでしょう。
原爆で被害にあったときに、他の通信手段は破壊されたものの、この場所の軍事専用電話を使って女学生が広島の壊滅を通信したそうです。その通信が原爆被災の第一報と言われています。
二の丸までやってきました。ここには平成に復元された櫓があります。
櫓の中は無料で公開中。
櫓の中。櫓は平櫓から入り、多聞櫓を抜け、太鼓櫓に続いています。
平櫓には畳の場所も。
平櫓から見た堀。堀の水は一時期、川とつながっていない時期がありましたが、水質悪化などから、再び川につなぐようにし、3日半かけて循環するようになったとのこと。
毛利家の三子教訓状も畳の上に置かれています。元就直筆の書状の複製とその現代語訳。「三矢の訓(さんしのおしえ)」の元となった書状として知られています。
表御門の上の部分。特段展示物は無し。
外の様子。二の丸内です。
戻って多聞櫓に向かいます。ここも展示物が多め。
山城の説明。立体物と共に説明があるとわかりやすいです。
広島城再建天守閣の鯱瓦。1958年の天守再建時に製作されたものの、1991年の台風によって破損したため、二代目に換えられました。
太鼓櫓に到着。こちらは二階もあります。
二階から見た二の丸。何やら工事をしているのか、工事車両が多々見えます。
堀を見た様子。
窓。
太鼓。こうした太鼓で時を告げていました。
一通り見終え、外へ。外から見た窓の様子。
表御門。
御門橋と表御門。
そして、手前側の平櫓と左側の表御門、そして平櫓から多聞櫓が続き、奥に太鼓櫓です。多聞櫓は通路のような役割を果たしています。
太鼓櫓を別角度から。
太鼓櫓方面から見た多聞櫓と平櫓。
これで広島城を堪能し終え、次の目的地に向かいます。
滞在時間は全部で2時間40分。ざっと見るのであれば1時間もかからないでしょう。
広島城 広島県 一人旅の旅行記
2018年11月中旬の平日に、広島県の広島城へ一人旅に出かけた際の旅行記です。