備中高松城とその城主である清水宗治に絡む場所を見終えた後、引き続き周囲を見るため歩き回ります。
備中高松城址の告知用の構造物。上に槍を持った兵が見えます。
道路を進んでいくと、大きな鳥居が見えます。
その方向にはいかずに左手にある山の方に川沿いに進みます。
すると、高松城水攻築堤跡が見えました。別名「蛙が鼻築堤跡」です。水攻めする際に築いた堤防の一部です。
用水路に水も流れています。
さらに鳥居から離れていくように進んでいきます。
用水路は農業用水路とのこと。
そして、高松上水攻め史跡公園に到着。高松城址からは結構歩きます。
そこには水攻め築堤の調査に関しての展示など。
少し高低差がある場所があり、その場所が堤防の一部と言われています。
堤防と共に高松城の高さ表示板も用意されており、どこまで水が貯まれば城に被害が発生するかがわかります。当然、その城の高さより高い堤防が築かれました。
地面を見たら消火栓の場所が。桃太郎柄のマンホールです。岡山には桃太郎にちなんだ場所があります。
そして歩いていくと山に入ります。この石井山は豊臣秀吉(羽柴秀吉)が水攻めの際に陣取った場所と言われています。
さっそく中へ。山道ですので歩きやすい靴でないと厳しいですが、道自体は手を使う必要のない山道です。
この入口を見つけるのが少し厄介でした。
入口の周囲の様子。
山には豊臣秀吉の陣地と太閤岩と呼ばれる岩、そして首塚があります。
さっそく山道を進んでいきます。
歩いている最中にはまったく人と出会いませんでした。飲み物は準備した方がいいでしょう。
しばらく歩いて案内板。3分くらいの位置です。
高低差もあるので、普段歩きなれていない人は注意です。
そして、清水宗治の首塚跡。首塚は備中高松城址に映されています。
そしてすぐ近くに豊臣秀吉の本陣跡があります。持宝院境内跡でもあります。たぶんこの場所で秀吉が首実検を行い、近くに首塚を作ったのでしょう。入口から10分程度。
今では別の石が建てられています。
ここでも旗がたなびいています。
豊臣秀吉の本陣から見た備中高松城方面の様子。この辺り一帯が水攻めで水没したようです。
さらに先には秀吉の軍馬を繋ぎ止めた場所もあります。
まだまだ道は続いていますので、奥へ移動。
太閤岩というものが奥にあります。
一か所、危ないからかロープが崖側に張られていました。それ以外は特段問題のない場所です。季節によっては虫の問題は出てきそうです。
そして、太閤岩の場所に到着。豊臣秀吉の本陣から8分ほど。
見えるのが太閤岩。ひときわ大きな岩です。
備中松山城を攻める際に作戦上の目標物として活用したのではないかと言われています。
これで石井山の中は見終えたので、引き返します。再び秀吉本陣。
そして、太閤岩入口に到着。
太閤岩まで行くのは大変ですが、その手前の秀吉本陣までなら比較的気軽に行けると思われます。
これで大まかなところは見終えたので、駅に戻ります。
その道中に大きな鳥居。この鳥居は最上稲荷の大鳥居で、賛同口に位置することから作られました。
大鳥居の扁額には「紅柄」は「ベンガラ」と読み、鳥居の赤い顔料として使われています。岡山県にある高梁市は産地だったとか。
そして備中高松駅に到着。
次の目的地に向かうため、駅で電車を待ちます。駅員がお昼休憩で居ませんでした。
ICカードは使用可能。
ホームに入ります。
花壇には城の形をしたものも。
そして電車がやってきて、次の目的に移動です。
備中高松城 岡山県 一人旅の旅行記
2018年10月下旬の平日に、岡山県の備中高松城へ一人旅に出かけた際の旅行記です。