軍艦島、正式名称「端島」にいよいよ上陸です。
接岸する場所はドルフィン桟橋と呼ばれています。
ツアー客がどんどんと軍艦島に上がっていきます。
軍艦島に入る時には、ツアー代金を支払った時にもらった「軍艦島見学施設利用券」の半券を切ってもらいます。
そして、接岸したところから中へ。
まずは、ツアー全体で説明の時間が用意されています。この時は自由に行動できず、ガイドの説明を聞きながら軍艦島の状況などを聞きます。
時間が押していたとのことなので、本来説明する予定の3ヶ所のうち、1ヶ所を飛ばして説明、その後、写真撮影等をしたい人は自由行動にし、他の方は残りの1ヶ所の説明を聞くという流れになりました。
現在の状況だけでなく、実際にこの島が炭坑として活動していた時代の話も含めての説明です。
入って良い場所は鉄製の柵で覆われています。それ以外の敷地内に一般の人が入ることはできません。
調査目的や映画の撮影のデータ収集などでは中に入って良いようです。
軍艦島は石炭を掘りだす島で、その石炭を掘る人のための住居棟が併設されています。
学校などもあり、また、娯楽施設も用意されていました。
ピーク時では5300人にも及ぶ人がこの限られた敷地内に住んでおり、当時の人口密度は東京の9倍とも言われています。
1916年には日本で初めて鉄筋コンクリートの高層アパートが建てられています。このあたりは天候によっては波が島をまたいぐ位の大きな波が発生することもあり、鉄筋コンクリートでないとすぐに壊されてしまうからでしょう。
1890年から1974年1月まで操業が行われ、その3ヶ月後の1974年4月には無人の島になったとのこと。たった3ヶ月での無人化で、その後は手当などもされずに残されたため、島のいたるところが荒廃しています。
意図して壊したのではなく、すべて天候によって壊されたとのこと。
訪れるたびに壊れている状況のため、現在見ている景色が、今後は見れなくなると言われています。
端島小中学校。現在残っているのは1958年に建てられた学校。その時代から鉄筋コンクリートの学校が、この小さな島にあったことになります。
学校の奥にはグランドがあります。その方向へは立入禁止。
現在封鎖されている穴。昔はここにベルトコンベアが通っており、島の反対側に不要となった鉱石を海に捨てていたとのこと。
ここで1ヶ所目の第1見学広場から第3見学広場に移動します。
軍艦島 世界遺産 一人旅の旅行記
2015年5月下旬に訪れた長崎2泊3日一人旅の2日目の軍艦島ツアーについて取り上げています。