三国志展は主に第一会場と第二会場があります。
会場が分かれているからといって、遠くにあるわけではなく、同じ建物の階段を挟んでお互いの会場があります。階段付近にはお土産物屋などがあります。
さっそく、第二会場へ。
ここでは定軍山の撒菱などがあります。
諸葛亮孔明が使ったのでは、と言われているものです。
偏将軍印象金印(へんしょうぐんいんしょうきんいん)。偏将軍は関羽が曹操に下った際に任じられた役職です。実際に受け取ったかは不明。展示物は1世紀の物。
諸葛亮と孟獲の人形。
鐎(しょう)。蜀の南部や交州との関わりを示す出土品。
堤梁壺(ていりょうこ)。蜀南部で出土。小さな穴には宝石がはめ込まれた豪華な壺と思われる。蜀南部の経済力を知ることが可能な出土品です。
甗(げん)。蒸し器。釜の中に水を入れて加熱し、中にある小さな小孔から通る湯気で食材を蒸すことができる。
呉の朱然の息子世代の墓から出土した釵(さい)。女性が髪形を整えるために使用した髪留め。
朱然の墓から出土した皺(しわ)を伸ばす熨斗(うっと)と、炭炉。アイロンのように使用するものです。朱然は関羽を捕らえた武将です。
魏の曹休の墓からの出土品も多く展示されていました。
曹休印。三国志登場人物の中で、人物が明らかになっている印象はこの曹休の印だけとのこと。
帯鉤(たいこう)。瑞獣が魚を抱えている姿を表現。曹休の墓から出土。
五龍硯(ごりゅうけん)。石製の硯(すずり)。蓋の装飾には5頭の龍が浮彫されています。
魏帰義氐候金印(ぎきぎていこうきんいん)。魏と親交を深めた辺境の勢力の指導者に送った印章。この印は西北地域の氐の指導者に与えた金印。
関内候印金印(かんだいこういんきんいん)。関内候は皇帝や諸侯王、列候に次ぐ身分で、魏では夏侯惇は列候となり、その子が関内候となった。
定規。この定規に一体どういった価値があるか、わからない人もいると思います。実際に会場内で笑っていた人もいたのですが、過去の長さと現在の長さの基準が異なり、その基準を知る上で重要な出土品ということで価値の高いものとされています。三国時代の1尺は24cm前後を伝える貴重な資料。今現在は日本で約30cm、中国で約33cm。
獣文鏡。後漢時代の出土品。
三国時代の魏呉蜀だけでなく、周辺の勢力も取り上げていました。
公孫氏について。
把手付容器。この同じような形のものが日本列島でも出土されているため、過去に往来があったと見られています。三国志の時代は魏志倭人伝などで日本のことも語られています。
鼎(てい)。三国時代を三国鼎立とも言いますが、その由来はこの足の部分の3つの足をを指します。
鐎(しょう)。
犬。墓の入口に置かれていた土製の犬。
製塩図磚(せんえんずせん)。塩の製造工程を描いた磚です。蜀は古来食塩の産地で、劉備は塩の専売制を敷いて国庫を潤していたとのこと。
車馬出行図磚(しゃばしゅっこうずせん)。馬車が橋を渡る様子が描かれている。隣の磚にも馬車が描かれていたと推定される。馬車の行先は西王母の棲む天上世界とのこと。西王母は中国の女神のようなもの。
西王母図磚(せいおうぼずせん)。先の話の中に出てきた中国の女神を描いたもの。後漢2世紀。蜀には西王母を表した文物の優品が多いとのこと。
館内の展示の様子。蜀の展示は緑、呉の展示は赤など、三国志関係のゲームの色分けを展示でも活用されています。
竹簡。呂岱の文字が見えます。当時は紙も普及しつつありましたが、まだまだ竹簡も用いられていたとのこと。呂岱は長生きした人物で、孫権だけでなく、その次の孫亮にも使えた武将。
化粧盤(けしょうばん)。化粧のための粉等を調合するために用いられたもの。
釜(ふ)。調理や水くみに用いられた。
展示が取りやめになったものもあります。保存上の理由とのこと。
画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)。銅鏡生産が盛んであった場所からの出土品。
羊尊(ようそん)。宗教的な意味合いがあるものと推測されている。
神亭壺(しんていこ)。神亭は呉から東晋にかけて焼かれた明器の一種。
槅(かく)。槅は仕切りのある器のことだそうです。
仏坐像(ぶつざぞう)。墳墓の前室と後室をつなぐ甬道(ようどう)に安置されていたことから、礼拝対象として制作されたと思われる。甬道は小路や通路の意。
盤口壺(ばんこうこ)。龍や鳳凰、さまざまな動物、仏像などが描かれ、貼り付けられている。
銅鼓(どうこ)。中国南部の漢族とは異なる人々が祭祀儀礼の際に浸かってきたとされる。カエルや騎馬人物像、鳥の立体装飾は呉の「山越(さんえつ)」と呼ばれた集団との関わりが考えられるとのこと。
まだまだ第二会場の展示が続きます。南側にいた士燮に関しても。
次は曹操の墓です。
三国志展 東京都 一人旅の旅行記
2019年7月中旬の平日に、東京都の上野へ一人旅に出かけた際の旅行記です。